いつかできる日のことを想う

どうも、たかこです。

 

精神に「躁」のスイッチが入ると言葉がつらつらと、それこそ滝のように溢れ出るのですが

スイッチが切れてしまうとなかなかブログ更新が億劫になってしまいます。

 

さて、発達障害Twitterアカウントを作ってみて思ったことを書き連ねてみようと思います。

 

私は「できないまま」でいたくない

以前の記事で遅刻について触れましたが、

発達障害にはひどく困難なことがあります。

 

例えば

料理を作ることだったり、

待ち合わせに遅れずに行くことだったり、

忘れ物をしないことであったり、

部屋が汚かったり、

です。

 

これは発達障害の特性上、とても難しい作業です。

 

でも、だからといって「あなたはできないままでいいんだよ」と言われたくないのです。

やってみて、「できたじゃん!」「頑張ったね!」「お疲れ様!」と言って欲しいのです。

 

できないままでいいんだよ、という言葉には

できないことを肯定する他に憐憫が含まれているように思います。

そしてそれは私や発達障害者の自由を奪う行為だと。

 

遅刻に関して言えば、そもそも待ち合わせの生じる友人関係を築かない・待ち合わせの生じる回には顔を出さない、という対策を取る方もいらっしゃると思います。

これはその方が「自分で選んで」決めたこと。

 

ですが、「本来なら行きたいと思うであろう待ち合わせの生じる会には呼ばない」といったことも多々あり得る訳です。

これは『配慮』という名でラッピングされた行為です。

そんな行為をしてもらわなくても大丈夫だよ、と言える自分になりたいのです。

呼んでくれ!こっちで判断して行くか行かないか決める!!

 

何を助けてもらいたいのか、を考える

発達障害者の中には「助けてもらいたいこと」を言語化することがすごく苦手な方がいらっしゃるように思いました。

発達障害はまだまだ理解の少ない障害です。

けれど「どう困っているのか」「どう助けてもらいたいのか」を私たちは考えなくてはならないように思います。

 

私としてはこんな感じでしょうか。

  • 躁鬱の「鬱」にスイッチが入ったときTwitterに浮上しなくなる
  • 夜中の連絡は朝見ても忘れることがある
  • 待ち合わせの前に喫茶店で待ちたい

社会人になって、だいたいの事柄に対して対策が取れるようになりました。

 

しかし、この対策を見つけられない方も多くいらっしゃいます。

その理解を深め、ADHDと一緒に対策を考えていく、ということが必要なのだと思います。